母の口にスプーンを運ぶ

7月に母はグループホームに入居した。

8月に認知症専門の病院へ付き添い、

11月にエコー検査、

そして今日は1ヶ月振りの再会。



2年前に大腸癌の手術をしてから

定期的に検査をしてきた。



本来なら年に一度の

内視鏡検査の時期だが、

施設の方から

「2リットルもの腸管洗浄剤を

飲む体力はない」

と連絡を受け、

主治医に相談して

検査を取り止めた。



CT検査なら大丈夫だろうとのことで

今朝施設に迎えに行った。



先月に会った時は

車の付いた歩行器で歩けていたが、

今は車椅子でないと

転倒の恐れがあるとのことで

介護タクシーを手配してもらった。



母は偏食のため施設の方々を

手こずらしているようだ。

魚は絶対に食べないらしい。

メニューによっては

十分な栄養を摂れていないとのこと。



「食べない時に備えて、

入居前まで好きだったものを

ストックしておきたい」

と連絡を受け、

賞味期限の長めのスープやおでん、

コーンフレークにレトルトカレーなど

見繕って担当者に渡した。



入口で待っていると

介護士に車椅子を押されて

母がやって来た。



母は表情を変えずに

私の名を読んだ。

「華伊さん・・・」



覚えてくれていて

ひとまずホッとした。



介護タクシーに並んで座ると

母はうっすら涙を浮かべて

呟いた。

「こんな所で会うなんて・・・」



力無く冷たい母の手に

自分の手を重ねながら

涙が溢れてきた。



病院に到着し

廊下で順番を待っている時も

母は言葉少なく

一点を見つめたままだ。



先月の検査の時は

長椅子に並んで座って

私の足や手を何度もさすって

私の存在を確かめていたのに、

今日の母は

意識が「私のいる現実」と

離れているように感じられた。



順番がきて検査室に入り

靴や上着を脱がすのも、

検査が終わり

車椅子に座らせるのも、

すんなりいかなかった。



会計を済ませ

お茶をしに院内のレストランへ入った。



本当はランチを一緒にしたかったが

食事は介助が必要で

プリンみたいな感じのものなら

大丈夫だろうと

施設の方から事前に聞いていたので

パンナコッタを注文した。



先月は同じ院内のレストランで

唐揚げ定食を自分で食べられたのに、

今は施設で刻み食を介助されながら

食べているとのこと。



アクリル板越しに母の正面に座ると

「華伊さん?本当に華伊さんなの?」

と私の顔をまじまじ見つめながら、

だんだん口元を震わせ泣き始めた。



私もしばらく涙が止まらなかった。



会う数日前から

今日のことを思うと気が重かったが、

いざ母と対面すると

以前の親子に戻った。



なかなかおさまらない母と自分の涙を

交互に拭いながら

パンナコッタをスプーンですくって

母の口に入れた。



すくって入れるを繰り返しながら、

5月に亡くなった父のことを

思い出していた。



亡くなる数日前

その後緊急入院することになる

当日の朝の居間で、

私が料理した塩分控えめの

大根や鶏肉の煮物を小さく切り分けて

ベッドに横たわる父の口に箸を運んだ

最初で最後のひと時。



介助する私の顔を見ながら

ゆっくり咀嚼する

素直な父の眼差しと今が重なり

涙をこぼしながら

母の口にスプーンをゆっくり運んだ。



ひと通り食べさせ終えて

母の正面に座り直し

自分のパンナコッタを

ペロリと食べた。



母に「おいしいね」と言ったら

母がいきなり「あぁ!!!」と

嗚咽した。



その腹の底からの一声に

全てを悟った私も

くしゃくしゃに泣いた。






摂食障害の25年間は

母と面と向かって座れなかった。



一緒に何も食べられなかった。



それが今は

一緒に同じものを食べて

「おいしい」と思うことができる。



「会えて嬉しい」

「ありがとう」と

伝え合うことができる。



人生の終盤にきて

食べ物(愛)を

与えて受け入れる関係になれたのだ。



これまでの色々が

一気に癒えていくように感じた。

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