先週は施設へ
母の面会に行ってきました。
私のことがわかる時と
わからない時があるのですが、
この時はわかっているようでした。
「春になったね」と声をかけると、
童謡の『春がきた』を
たどたどしくも歌ってくれました。
「何か欲しいものはない?」と聞くと、
私の顔をまじまじと見ながら
よろよろと言いました。
「一生懸命働いた甲斐があった」
私がひきこもりだった35歳まで、
母は父と私を支える大黒柱でした。
75歳まで働き通しだったのです。
私は母の退職金も、貯金、財産も
全て根こそぎ
過食代や入院費や音楽の学費で
食い尽くしてしまいました。
今では笑って話せますが、
当時はそんな自分を恥じ、
罪悪感でいっぱいでありながら
どうしようもできない衝動に
翻弄されていたのです。
それから社会復帰して13年になります。
少しずつ自信もついてきて、
母と向かい合って
話せるようになりました。
母とは色々な苦々しいことも
沢山あったけど…
どんな私であろうとも
結局はいつも信じてくれた
ということが
今の自分自身への
自信や信頼になっていると感じます。
自分自身よりも
自分のことを信じてくれる人は
なかなかいないと思いますが…
母がこの先いなくなっても、
「信じてくれた」という事実は
ずっと色褪せることなく
私を支え続けてくれるんだなぁと思います。
同じ支えでも
過食はその場しのぎであるのに対し
愛情はずっと記憶に残り
いつでも自分の中に
よみがえらせることができるのですね。