先日、施設にいる母に会いに行きました。
今回は、母の表情から、
私が誰か分かっていないような
感じがしました。
自分の子供とか、家族とか、
関係性についての概念が
なくなっているようでした。
ほとんど、私の問いかけには
オウム返しで応えます。
例えば…
「元気ですかー?」と聞くと、
「元気ですかー?」と返ってきます。
「また会いに来るからね」と言うと
「また会いに来るからね」
といった調子です。
言葉を覚えたばかりの子供のように
何度も同じ言葉を
とつとつと繰り返します。
だんだんと私も日常の感覚が揺らいで
鏡の中の自分と話しているような
不思議な気持ちになったり…
母の口を借りて、
父の声を聞いているような
気がしてきたり…
現実での錯覚がまるで真実味を帯びて
異次元に連れていかれるようでした。
そのラリーがしばらく続いてから
次の問いかけに対しては
今までと違うパターンで返ってきました。
「何か欲しいものはないですか?」
の問いに対して母は…
「欲しいものは何もない」
と、小気味よく言ったかと思うと、
私を見据えて、こう告げました。
「(あなたの)欲しいものは、
私が選んであげます」
この時の母の眼差しは
「母の顔」になり、
一瞬のうちに、元気だった頃の
気の強い母を思い起こさせました。
昔の私だったら、
「自分の欲しいものくらい
自分で選ぶ!!」
と、歯向かうところですが…
この時はふいに
「ありがとう」と口にしていました。
スルッと自然に出たのが
自分でも意外でした。
…というのも、
私は「一人っ子」がコンプレックスで
「母」の存在が、
自分の未熟さとか甘えの象徴に感じ…
「自分の自立を阻む母」として
過剰に反発していたところが
あったからです。
「箱入り娘だから
世間知らずで何もできない」
と思われるのがすごく嫌で、
甘えるべき時代に
心から甘えられなかったことからの
反動もあるかもしれません。
今回の母との会話で
親子の関係性も心の距離感も
自分に起きる反応も
時とともに
変化していくものなのだなぁ…
としみじみ感じたのでした。