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後 編






更新日:2018/10/08


ニョキリサ(前編)は こちら です


簡易版プロフィールは こちら です




ニョキリサ(後編)のもくじ
  まえがき(2018/09/23)
  快復に向けて~ある日のカウンセリングルームで~(2013/03/08)
  自己ベストの良い音(2014/02/15)
  家を離れる(2014/11/25)
  人生の折り返し地点にきて~ある朝のブログ~(2015/04/12)
  何もなくなった自分は(2016/03)
  まるで浦島太郎(2016/09/01)
  音楽に戻る(2018)
  音楽日誌(2008~現在)
  それでもしっかり食べた(2018/07)
  ジャンベが来た日~ある晩のブログ~(2018/08/18)
  今までの人生で一番幸せ(2018/09)
  福は福を呼ぶ~初めてのサックス伴奏~(2018/09/30)







まえがき

 ニョキリサ前編を書き終えてから 5 年が経ちました。

 その間にも多くの出会いや別れがありました。

 良いことも悪いことも肥やしにし、過去に置き去りにしてきた子供の自分を受け入れ、まだわからない未来を憂うことをやめ、今を精一杯生き、昇華していくために後編を続けます。


(2018/09/23)








快復に向けて ~ ある日のカウンセリングルームで ~  2013/03/08



 関東から神戸に転居して 1 年 10 ヶ月の間に、3 度も病院を変えました。
 理由は、先生と相性があわなかったり、摂食障害についてよくわかっていない先生だったりして・・・。  

 先月から母が病院に繋がってくれて、摂食障害の家族の会に出てくれるようになり、今日はそのゆかりのある医療センターで初診を受け、おそらく私よりも年下であろう女医さんと 1 時間以上話しました。

 私の祖父母、両親のことから、私の37年の歩んできた道のりを淡々と。  


 
何度となく過去のことは色々な医療現場で話してきたので、何年何月に何があって・・・という自分の年表がすらすらと言えるくらいになっています。

 診察の終盤にさしかかる頃、先生の「今後どうなっていきたいか」という問いに私は、「食べ物によって人生が振り回されないようになりたい。外食や会食も楽しくできるようになり人と深く交流したい。そして、両親と普通の会話ができるように仲良くなりたい。」と答えました。  

 先生がおっしゃるのには、最終的な唯一の目標として、「この私でいい、という自信が持てるようになること。」と掲げていただきました。
 
 今まで通り投薬は無しで、カウンセリングを重点的に診察と共に継続していくというプランとなりました。  

 自分自身のことをしっかり見つめ、病気のことも十分勉強していると褒めていただき、この 19 年は無駄ではなかったのかもしれないと、少し安堵しました。  

 先生は納得いくまで突っ込んで私の気持ちを聞いてくるので、私も飾らず隠さず、汚いものもさらけ出して話ができました。  

 摂食障害の文献から寄せ集めた情報や一般論に当てはめようとせず、真剣な眼差しをもって、一個人として向き合って話を聞いてくださっていると感じ、とても良い先生に出会えたと思いました。  


 誰かに受け入れてもらうために迎合したり、誰かを見返してやりたいために虚勢をはる生き方はもう選びません。小さく見せたり大きく見せたり・・・疲れます。  

 いつでも他人目線によって自分の言動を決めていては、虚しさがつのるばかりですから。  

 焦らず、諦めず、快復に向けてがんばろうと思います。  

 病気になる前の状態に戻るのではなく、新しい生き方で自分を生かすという意味合いで、「回復」ではなく「快復」という字を使うのがお気に入りです。








自己ベストの良い音 2014/02/15




 ピアノの発表会で、ブラームスのラプソディ 2 番を演奏しました。

 会社の友達が二人来てくれるということもあり、練習の時からボルテージがあがり、本番は数小節右手がわからなくなったものの、リハーサルよりも良い演奏ができました。

 スタインウェイのピアノの音色と、ホールの残響が耳に心地よく、今までの本番で一番心を込めて弾くことができました。

 これも、ピアノの先生の表現豊かな演奏スタイルに影響を受けていることや、昨年から学びはじめたジャズピアノによって感化されてきたところもあると思います。

 今後も様々な音楽に触れ、吸収し、感性を深めていきたいと思います。

 発表会を終えて一週間になりますが、全身で感じたピアノから伝わる波動が忘れられません。
 
 曲の最後、フォルテの和音が、自分が欲した通りの音が出せたので、「終わりよければすべて良し」と納得がいきました。

 課題もたくさん再確認できたので、次回に向けてまたがんばりたいと思います。




 後日、絵を描いてみました。

ラプソディ

(2014/02/22)


 

 時々描く絵のコーナーは こちら です。









家を離れる 2014/11/25 ( 38 歳)

 両親と三人で仲良く暮らそうと思って埼玉から神戸に転居して三年、やはり一緒に暮らすことが難しく、精神的にも経済的にも自立し自信を得ようということで、電車で三駅離れた町で一人暮らしが始まりました。

 食べ物について色々言われることがなくなった点は気が楽になりましたが、拒食や過食で食生活は乱れ放題、仕事が終わった途端に緊張が解け(緊張を解くためかもしれませんが)、コンビニやスーパへかりそめの愛を求め彷徨いました。





 休日は寝たきりのことが多く、楽器やパソコンに向かう気力も失っていきました。

 食べ物を憎み、渇望し、罪悪感とともにそれを飲み込みました。

 これが永遠に続くのかと思うほど、先が見えず年月ばかりが過ぎていくように感じました。

 

 追記 2018 年 10 月 

 同居していた時や、数ヶ月おきに実家に帰る時に自分でもわからない謎の行動がありました。
 両親に自分の姿を見られるときは、わざと穴のあいた、または毛玉のついた靴下を履き、メンズの服装やバッグ、口紅はぜったり塗らない、全体的に黒っぽい色を身にまとっていました。
 また、わざと食塩や歯磨き粉等の蓋をゆるく閉めたり、ぜったいに笑わなかったり・・・。

 それは意識的にしていた行動(半分は習慣的)ですが、なぜそうしてしまうのかはわかりませんでした。その深層心理、今はわかります。

 子供の頃、特に母は過保護で潔癖、支配的で心配性でした。その影響を大人になってからも引きずっていて、自分を抑圧した上で行動や思考を選び、ダメな子供を演じていたのだと。
子の世話をやく母と、世話をやかれることを受け入れた子との共依存関係。


  「大人の自立した、幸せな女性」として見られたくない理由がここにありました。
 親の愛を得るために、また、親が喜ぶために、成長を止めていたのだと思います。







人生の折り返し地点にきて ~ ある朝のブログ ~ 2015/04/12

 人生の折り返し地点にきて思うことを、今朝書き留めておきたいと思います。

 私は 18 歳で摂食障害になり、25 歳で病識をもち、アルコール依存症専門の精神病院に年単位の入院を繰り返し、 35 歳までの 10 年間は病院か自宅で引きこもっていました。

 震災がきっかけで、2011 年の 5 月から福祉からの経済的援助を自ら辞退し、埼玉から神戸に転居し社会復帰を果たし現在に至ります。







 長い入院生活の中で学んだことは、人は人のことは変えられないけれど、自分のことは変えていける、過去のことは変えられないが、これからの生き方は変えていける、これまでの誤った思考パターン(自分を不幸にする考え方)を修正したり、人とのコミュニケーションから相互理解を深める中で温かい人間関係を築いていくこと、その過程で本来の自分を表現し受け入れられる体験を通して自信をつけていくといった、病気そのものの治療よりも、それに至らしめた思考や親子関係の見直しに焦点を絞り、自分自身を見つめ直す年月を与えられました。

 現在の私が在るのは、両親をはじめ、たくさんの人たちからの支えと、理解と忍耐のおかげです。  闇の中にいたとき、私がして欲しかったこと、してくれて嬉しかったこと、されて辛かったことと逆のことを、これからの人生で出会う人たちに帰していけたらと思います。

 過去の不遇な人生を現在や未来の希望に変えていくために、今の私にできることは何かと自分に問いながら、自分も周囲の人たちもハッピーになったら素敵だと思います。

 今後も迷ったり悩んだりしたとき、自分の這い上がる前の底つき(10 年間の引きこもり時代)を振り返り、そこから学び直し活かしていけたらと思います。

 無駄なことは何もない、降りかかる全てに意味がある、とよくいいます。

  落ち込むことも多々ありますが、その指標さえしっかり持ち続けていれば、人生なるようになる、なんとかなる、と思います。 ブログに自分の病気について書くことは控えていましたが、今朝はふと思うことがあったので、書いてみようという気持ちになりました。







何もなくなった自分は 2016/03

 過食と拒食は激しくなる一方、八時間勤務に戻した滅菌の仕事もハード、人間関係にも悩み、とうとうキャパオーバーになりました。

 レッスンも先生のお話が入ってこず、文字も音も意思とは裏腹に外からの情報を遮断しているような状態になりました。

 音楽を中断し、しばらく何も考えない期間を過ごし、執着してきた諸々を手放していくことが必要に感じました。

 何もなくなった自分はどんなかを知りたい。

 「好き」だと思っていたことが、不安から執着していたに過ぎなかったのかもしれないと。


 外の世界との個人的な付き合いも疎遠になりました。

 胸を張って人と交わることができず、堂々巡りの食異常に疲れ果て、NO と言えず人に合わせてしまう馴染みのパターンから抜け出す勇気もないまま、怒涛に流されていきました。


 一年前から仕事をしながら転職活動、ことごとく不採用が続くうち、 四十歳で一般雇用は難しいと覚り、障害者雇用も選択肢に入れ斡旋会社に登録しました。









まるで浦島太郎 2016/09/01 (40 歳)

 障害者枠でようやく転職先が決まりました。ホテルの購買課で事務の仕事です。

 面接で、障害のことを当たり障りのない程度に話しました。

 どのような配慮が必要かと問われたとき、月に一度の通院のための時間の確保のほかは特にありませんと答えました。

 電話が怖くてうまく話せないことも、人なれしていないためコミュニケーション(外食を楽しむことも含め)が下手なことも言いませんでした。

 なんとかなる!なんとかする!と自分に言い聞かせました。


 入社してから一年間は予想以上に業務についていけませんでした。

 同年代の方々が雲の上の存在のように感じました。まさに私は、玉手箱を開けた浦島太郎でした。

 年相応の成長をしていない現実を目の当たりにし、ショックと恥じる気持ちと劣等感でますます自信を失った期間も長くあり、体重は約 10 kg 太りました。


 しかし、自分の未熟さと向き合えたことは転職した一番の収穫となりました。

 コミュニケーションの上手な上司や先輩を真似ることで、コミュニケーションの練習ができるチャンスであると気持ちを切り替えたとき忘れていた笑顔が戻ったのです。入社してから一年半位が経った頃だったと思います。

 障害者だからと変な同情はせず、一般の人と同じように厳しく鍛えていただいていることも、私の成長のために必要です。

 少しずつ職場の仲間や取引先の人たちとの何気ない会話もできるようになっていきました。


 並行して、今に集中するマインドフルネスやインナーチャイルドを癒すコアトランスフォーメーションのセッションを受けました。

 効果はというと、色々同時にやったのでどれが効いたのかは正直わかりませんが、自分の呼吸に意識を集中させることは、落ち着きを得られ、「今ここにいる」感覚を呼び戻してくれます。





 ついに十代からの電話恐怖、対人恐怖、外食・会食恐怖、克服しました!










音楽に戻る 2018

 「変わりたい!」

 音楽を中断して 2 年が経とうとしていました。

 食べ物に溺れ、休日は寝たきりの日々・・・このままだと落ちぶれる一方だと我に返り、自分へのコントロールを諦めたとき、音楽を再スタートさせようと思いました。

 自分の中心に焦点を合わせてくれる音楽へ。


  1 月から初心者のピアノサークルに参加させていただくことになりました。

 申込むのに、2ヶ月位足踏みしましたが、勇気をだして飛び込みました。

  6 年前にレッスンで勉強したベートーヴェンのピアノソナタ第 13 番から第 1 楽章を弾くことにしました。

緊張でガクガクブルブルでたくさん間違えましたが、最後まで丁寧に演奏できました。

 サークルの方々も温かく聴いてくださり、不完全ながらも一歩を踏み出せて良かったと思いました。






2018 年 1 月28 日 西宮なでしこ小ホールにて




  8 月からはドラムジャンベを始めました。

 音楽の鼓動を感じながらリズムを打っていると元気になっていきます。

 昔の自分に戻らないようにするためと、「音楽をする人」という自覚を維持するためにも、リズムを無心に打つことは強化につながると信じています。






音楽日誌 2008~
 
 2008 年から現在までのレッスンや発表などの記録を集めたリストです。ブログに飛びます。





               
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それでもしっかり食べた 2018/07


 この 10 年も体重は約 15 kg の幅を行ったり来たりと落ち着きませんでしたが、ある頃から少しずつ「この私でもいい」と思う瞬間が増えていきました。

 絶食をやめ、毎食ご飯と味噌汁をしっかり食べるようにしました。
何度も振り戻り、過食が起きても自分を責めず、基本のご飯と味噌汁に戻しました。



 体重はみるみる増えましたが、これは脂肪ではなく水分や骨密度が増えてきたにすぎないと、何度も自分に言い聞かせました。

 「痩せていた頃のあなたが好きだった」と言われても、しっかり食べました。

 長く嫌悪してきた丸みを帯びた身体を感じても、しっかり食べました。

 体型の変化から周囲から見たら悪くなっているように見えたのでしょう。




 時々子供の部分が暴れても、大人の部分でそれを静観し、無理やり治そうとせず基本に戻しました。

 このまま太り続けたらどうしようと、不安になることもありましたが、自分の身体を信じました。

 自分に合った体重にやがて落ち着くと・・・。



 食べ物だけではなく、不快な感情もしっかり感じるようにしました。
 怒り、淋しさ、恐れ、疑心、嫉妬、不安、空しさ・・・、蓋(過食)をせず、感じないように(拒食)せず、無かったことに(嘔吐やチューイング)せず、不快な感情を悪者にせず、それらを味わい、飲み込み、消化しました。



 こうして忍耐強く、自分に本物の食べ物(愛情)を与え続けました。



 やがて自分の身体を赦しました。

 罰を与え続けてきた自分自身を認め、赦すことができたのです。

 それと同時に両親を受け入れ、これまでの人生に感謝する念が、自然に沸々と生まれていました。



 こんな穏やかな日々が来るとは思いませんでした。
 










ジャンベが来た日~ある晩のブログ~ 2018/08/18 

 1 ヶ月ぶりに実家に帰りました。 両親に報告したいことが 3 つできたからです。

 でもなかなか言い出せず、小一時間ほどたってから、 最近ドラムを始めたこと、これからジャンベというアフリカの太鼓を始めることをまず伝えました。

  思った通りの反応、いつも両親は私のやりたいことを応援してくれます。

  そして本題の 3 つ目の大きな嬉しいこと、「(摂食障害が)治ったよ」と声にした途端に涙が溢れました。 「え?!本当に?」と母も一緒に泣きました。 耳の遠い父も遅れて泣きました。


  「治ったからって何か形にしようと思わなくいい。 今まで通り自然体でいい。 その時心を動かされたこと、好きなことを取り組んでいたら、いつのまにか一段一段ステップアップしているものだ。 一番心配していたことだった、荷が降りたようだ。 お父さんもまだがんばるよ(長生きするよ)」と 86 歳の父。

  「毎晩寝る前に祈ってたのよ。 良くなりますようにって毎日・・・ やりたいことに専念できて、世界が広がっていくわね! お母さんもあと 10 年は頑張るからね」と 81 歳の母。


 約 25 年間、長かった摂食障害、もうこれに頼らなくても大丈夫という自信。 これからが私の人生。 乗り越えた新しい私で、音楽とともに生きていきます。


  「これまでありがとう」と両親に伝え、区切りがつきました。

 最高の日だと、3 人で喜びました。

  25 年を振り返り、何度も涙しました。


 「今、どんな気持ち?」と母。 「わくわくしてきた」と私。
  3 ヶ月前までは、「何のために生きているのかわからない」「何しても虚しい」「人が生きる意味を教えてほしい」と相談するほど暗闇にいたのに。


 アパートに帰って間も無く、ブルキナファソ産アカジュのジャンベが届きました。

 これから、ピアノも続けながら、ドラムと並行して習得に励みたいと思います。




軒並みを歩いていると目に止まるバケツや鉢植
みなジャンベに見えてしまう今日この頃










今までの人生で一番幸せ 2018/09


 一般的には年を重ねるにつれ体力の衰え感じるものだと思いますが、私は逆で今が一番身体を動かしやすいです。おそらく年相応の健康体になったのだと思います。

 私にとっての音楽とは、生きている実感を得るためと自己表現です。
 自分を「生」へと向かわせる音楽、リズムから生気を受け取り、ハーモニーから色彩を描き、メロディから歌を紡ぎます。

 最初は独り言だったのが、今では人に伝えることを意識して練習しています。

 2018 年 4 月からあらたに勉強していることがあります。

 その先生が広島から神戸に来てくださいました。

 初めてお会いし、食事をしながら、今後どう生きていけば自分を活かすことができるかを、時間をかけて丁寧に話してくださいました。

 私に向ける優しい眼差しが、肯定してくれたと感じ、未来への自分を後押ししてくださった
ような、安堵と勇気をいただきました。

 「自分を信じ、努力を続ければ、やがて実るものだ」とのお言葉をいただき、これからも積極的にがんばっていこうと励みになりました。

 人との出会いや、さまざまな考え方、失敗から学んだことを取り入れて、自分は変われたのだと思います。



 本当にありがとうございます。










2018 年 9 月 15 日 神戸にて









福は福を呼ぶ~初めてのサックス伴奏~ 2018/09/30

 隣の席の仕事仲間 Y さんは音大出身のサックス奏者。
 彼女の知り合いが結婚し、翌日に披露宴があるけれど、 台風が来るというので余興の奏者が来れなくなったといいます。

 ピンチヒッターで引き受けた Y さんは、サックスの演奏は 3 年振りだそう。
 サックスパートを抜いたマイナスワン音源に合わせて演奏することも考えていたようですが、 私に伴奏してもらえないかと遠慮がちに声をかけてくれました。

 翌日にいきなり本番は不安だったので、はじめはお断りしましたが、新郎新婦の馴れ初めを聞くと色々な困難を乗り越えて来られた経緯を知り、これも何かのご縁と思い、返事は保留にして楽譜のコピーをもらいました。

 仕事から帰ってから音源も送ってくれたので何度も合わせて練習しました。
 ゆっくりなテンポの簡単な伴奏ですが、身体に染み込ませるのには時間がかかり、夜を徹しました。

  曲は AI の "Story" です。

 利害関係のない見ず知らずの人のために、 一生懸命になることは私にとって何かが変わり始めたサインに感じました。

 楽な方を選ぶことはできたのに、幸せを応援したい気持ちが上回り、万全体制ではないことを引き受けたのです。

 病の中にいた時は人を思いやる余裕がありませんでしたが、 克服した今は、必要とされ与えることができる喜びと感謝の気持ちが湧き出ます。

  ぶっつけ本番は色々ミスはしたものの、喜んでいただけたようで良かったです。
  幸せな空間で貴重な経験をさせていただきました。

 Y さんのサックスは、人柄がにじみ出ていて、温かく伸びやかな音色で素敵でした。
  「また一緒に音楽やりましょう」と笑顔を交わし、 心を通わせ素晴らしい日となりました。












読んでいただき、ありがとうございます。

ニョキリサ(後編)は今後も続きます。
 












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